~欧米の黒歴史、仕掛けられた近代戦争の実態に迫る

(2022年4月4日投稿)

解説

前回、ウクライナに住んでいるロシア系住民がプーチンに助けを求めてきたことを解説しましたが、プーチンがウクライナに侵攻した理由は他にもあると私は考えています。

ご存知の人もいるかと思いますが、プーチンは非常に哲学的な考えができる人であり、宗教はもちろん思想・哲学をよく勉強しています。それはプーチンの演説を聞くとよくわかります。プーチンの演説には聖書や哲学・思想的な話がよく出てくることから、プーチンは哲学的な考えができる人と言われる理由でもありますが、さらにプーチンはキリスト教国の黒歴史を熟知しているわけであります。

プーチンは湾岸戦争やイラク戦争、アラブの春などにおいて西欧国家が仕掛けた近代戦争の真相はもちろん、十字軍などに見られるイスラム国家との文明の衝突、そして第2次世界大戦前におけるアフリカや東南アジアを植民地支配した歴史を熟知しています。そして現在も経済支配という形を変えて、西欧国家がアフリカ諸国のエネルギー資源を搾取していることもよく理解されているのです。

実は、イラク戦争やアラブの春などで仕掛けられた民主化運動により、イスラム諸国は以前より貧しくなり、治安が悪化しているという現実があります。

イラクのフセイン、リビアのカダフィにせよ、確かに独裁政権的な要素がありましたが、石油で得られた利益は国民にしっかり還元されていました。そのためフセインもカダフィも国民からそれなりに支持されていたのです。しかしイラク戦争やアラブの春以降、石油利権の一部を西欧国家が得ることになった結果、国民には還元されなくなったため、国民が貧しくなったわけです。

実はロシアにおいても、過去に同じようなことが起きる寸前でした。ソ連崩壊直後のエリツィン大統領のとき、ロシアはソ連崩壊の影響で国家倒産寸前まで追い込まれました。その混乱に乗じて、「ロシアの立て直し」と称して外国資本が民営化した石油企業を買い取り、ロシアの巨大なエネルギー利権を得ようとしていました。

しかしプーチンがロシアの新大統領に就任すると、「なぜ、我が祖国の利益を外国に与えなくてはならないのか」と憤慨し、外国企業を締め出し、エネルギー産業を再び国有化しました。その後、ロシア経済はプーチン主導のもと、奇跡の復活を成し遂げていきますが、もちろんロシアの巨大なエネルギー利権を逃した西欧人はプーチンに対して敵意を持つようになりました。プーチンはこうした西欧国家の手口というか闇の部分をよく熟知していたわけです。

それからロシアがウクライナを侵攻したもう一つの理由として、地政学の観点から見れば、「国家存亡の危機はウクライナではなくむしろロシアの方」でした。地政学的な見地から見たロシア情勢については、別の機会に詳しく説明することにしますが、今回は西欧国家の間違った近代戦争とキリスト教の黒歴史を中心にしてもう少し詳しく解説していきます。

ロシアがウクライナに侵攻する前、ロシアがどのような状況に追い込まれていたかと言えば、第二次世界大戦前の日本とよく似た状況と言えます。第二次世界大戦いわゆる大東亜戦争において、日本はABCD包囲網により、海外からの資源やエネルギーの輸出が禁止されることになります。

ABCD包囲網のAとはアメリカ(America)、Bはイギリス(British)、Cは中華民国(China)、Dはオランダ(Dutch)になります。これらの国々が日本への資源とエネルギーの輸出禁止を行うことになります。

日本は資源小国です。もし資源やエネルギーが入らなくなった場合は、マッカーサーの証言にもあるとおり、「日本は1千万人から1千2百万人の失業者が出る」と言われていました。そしてアフリカや東南アジア、中国においては西洋国家に次々と植民地化されていました。

もし日本に資源やエネルギーが入らなくなれば経済活動が止まってしまうわけです。そして軍備増強が止まるだけでなく、すでに保有している日本の戦闘機や軍艦も動かせなくなり、ただの鉄くずと化してしまいます。そうなると日本は戦わずして西欧国家に植民地化されてしまうことは、誰の目から見ても明らかでした。

つまりABCD包囲網とは、欧米諸国が協力して日本を干上がらせる作戦だったのです。そして欧米諸国がABCD包囲網を築いた後に、あの有名なハルノートによる最後通牒を行ったのです。

ところでこのハルノートとはどのような内容のものでしょうか。ハルノートでは、「中国、インドシアからの即時撤退」「蒋介石政権以外の如何なる政府・政権を支持しないこと」「日本の日独伊三国同盟からの離脱」などが記載されていました。

もしこれと同じ内容のものをアメリカに突きつけたとしたらどのような内容になるでしょうか。「アメリカはあんなにたくさんの国土を持っちゃいかん。建国当時のわずか13州の小さな国に戻り、それ以外の大半の州は手放しなさい。それからイギリスやフランスとは今後一切取引するな」という内容になります。このような無茶苦茶な条件をアメリカが飲むはずはないのは明らかです。

現に極東軍事裁判の判事として有名なパール判事がハルノートを読んだとき、「こんな通告が出されたら小国であるルクセンブルクやモナコであっても武器をとって(アメリカに)宣戦布告するだろう」と主張したわけであり、まさに日本にとっては国家存亡がかかった最後通称だったのです。そこで日本は祖国を護るためにやむを得ず戦争を開始したのです。

現在、「第2次世界大戦は、日本が仕掛けた戦争だ」と教えられていますが、このような欧米のやり方を客観的に見る限り、これは明らかに欧米が日本に対して戦争を仕掛けた戦争でもあるわけです。

実はこれと同じような作戦で、NATOあるいはアメリカネオコンがロシアに対して戦争を仕掛けたというのが真相であります。

ところで欧米によるプーチン引きずり落とし作戦が本格的に始まったのは、2022年にはじまったロシア・ウクライナ戦争ではありません。それは、2014年2月にウクライナで起きたマイダン革命にあります。

このマイダン革命で、ネオコンが考えたシナリオは次のとおりです。

「新ロシア派のヤヌコビッチ大統領を追放し、親欧米派の大統領を誕生させる。さらにこの紛争にロシアを巻き込ませ、プーチンを引きずり落とす」というシナリオです。

そして実際に2014年2月中旬、首都キエフにおいて新欧米派による大規模な反政府デモが起きて、多数の死傷者が出ました。この抗議運動の激化により、ヤヌコビッチ大統領は大統領任期中にも関わらず、2月22日、ロシアに亡命し、まさにネオコンが描いた筋書きどおりになったわけです。

多くの人は「こんなことがあるはずはない」「単なる陰謀論だ」と思う人が大半でしょう。しかしこれにはすでに証拠があがっています。

例をあげると2月22日、ヤヌコビッチ大統領が首都キエフを脱出した同日、新EU派の暫定政権が発足し、暫定政権の首相にヤツェニュクが就任しました。

しかしヤツェニュクの就任は、ヤヌコビッチがキエフを脱出する前、つまり2月4日の時点ですでに決まっていたのです。しかしなぜ2月4日の時点で、ウクライナで大規模デモが起きて、ヤヌコビッチが国外逃亡することを予想できたでしょうか。

ウクライナで2万人の大規模デモが始まったのは2月18日です。そして非常事態宣言が発令されたのが2月19日になります。つまり、2月4日の時点でウクライナ国内で大規模デモが起き、ヤヌコビッチが退陣することをまさに予言できたことになりますが、これは予言でもなんでもなく、大規模デモを計画して扇動し、国内を混乱させ、ヤヌコビッチを退陣もしくは国外逃亡させるというシナリオを描いていた人物がいたからに他ならないからです。

ではウクライナの混乱を起こした人物とはいったい誰でしょうか。その人物とは実はウクライナ国籍の人ではなく、アメリカの国務次官補ヌーランドと駐ウクライナ米大使のパイアットです。ウクライナ国籍を持たないアメリカ国籍の人物たちが暫定政権の人事に関与していたことが明らかになったのです。

実は、二人の秘密の会話は盗聴され、ユーチューブなどのメディアに漏れたことから発覚しました。これはおそらく、ロシアの情報部が盗聴したのではと噂されていますが、私もおそらくそうとおりと思います。

そして二人の秘密の会話は多くのマスコミで取り上げられ、日本では産経新聞も取り上げました。ただ残念なことに大半のマスコミが取り上げたことは、「二人がなぜウクライナの人事を決めているのか」ということではなく、ヌーランドの「くそったれ!」発言でした。

ヌーランドは、腰の定まらないEUに対して「くそったれ!」と罵るシーンは日本でも報道され、話題になり、さすがにヌーランド国務次官補はEU諸国に謝罪しました。しかしこの二人の会話には、もっと重要なこと、すなわちヤヌコビッチ大統領追放後のウクライナ政府の人事について語っている内容が含まれていたのです。

ヌーランドは電話での会話で「次のウクライナ政府の首相として最適なのはヤツェニュクだ!」とはっきり明言していたのです。

そして会話で決めた内容どおり、ヤヌコビッチが国外へ逃走した後の2014年2月27日、ウクライナ議会において暫定政権の首相にヤツェニュクが決定しました。

先ほども説明しましたが、ヌーランドはアメリカの国務次官補であり、電話相手は駐ウクライナ米大使のパイアットで、二人ともアメリカ人です。さらにヌーランドの夫は、ディープステートの広報機関ともいえるネオコンの代表的論者として有名なあのロバート・ケーガンです。つまりヌーランドはディープステートと深い繋がりのある人物と言えるのです。

このようにウクライナ政府の人事にアメリカ、すなわちディープステートが深く関与していたことは陰謀論でもなく、公開情報として証拠が残っているのです。


プーチンはキリスト教国の黒歴史、すなわち欧米が仕掛けた戦争の真実を熟知していますが、世界史をある程度知っている人ならご存知のとおり、キリスト教国は歴史上、よく戦争をした国です。有名なのが十字軍で、約200年間、イスラム教国との間で戦いが起きたわけです。湾岸戦争やイラク戦争における実際の戦争は数ヶ月で終わりましたが、それでも当時、世界中の国々を震撼させた戦争でしたが、十字軍による戦争は200年も続いたのです。その200年の間で、当然、たくさんの死傷者が出たわけです。

さらに19世紀、20世紀初頭、欧米諸国はアフリカ全土や東南アジアを次々と植民地にし、現地民を奴隷同然の扱いをしたわけであります。アメリカでは1860年代、リンカーンは奴隷制度を廃止するため、南北戦争で勝利し、国内では奴隷制が廃止となりましたが、1900年代になり、アメリカは他国を次々と植民地化していきました。

それから1991年、湾岸戦争が起きました。実はこの湾岸戦争が始まったきっかけとなったのが「ナイラ証言」です。このナイラという少女は当時の湾岸戦争開戦前の演説で有名になった人です。

当初、アメリカ国民の大半の世論は「反戦」でした。「なんでわざわざ中東まで行って、アメリカが助けなくてはならないの」「アメリカ兵がたくさん死んじゃうじゃないの」というように、アメリカ国民は中東へ介入することに反対だったのです。

しかし突如、クウェートに住んでいたナイラという少女がアメリカ議会に現れます。ナイラは議会において、「イラク兵が残虐です」「本当に人でなしです」「多くの人が死んで、赤ん坊まで殺されているんです」と発言しました。これでアメリカ国民の世論が沸騰し、反戦から主戦、つまり戦争賛成へと国民世論がひっくり返ったのです。

しかし後になって、このナイラ証言は「虚偽」ということが明らかになりました。ナイラという少女はイラクがクウェートに侵攻したとき、イラクにいなかったことが判明しました。

イラク侵攻時にクウェートにいなかったにも関わらず、「イラク兵による残虐の現場を見た」と証言したわけです。さらにこのナイラは駐米クウェート大使の娘であり、クウェートに住んだことが一度もなかったということも明らかになります。

皆様もネットでぜひ「ナイラ証言」というワードで調べてみてください。「ナイラ証言」は嘘であったというのは、公然の事実としてすでに世界に知られていることがおわかりになるでしょう。

☆画像引用元:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/
☆音楽引用元:ニコニ・コモンズ
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