解説

「政府がなすべきことは、何もしないことだ」——そう言わんばかりの徹底ぶりで、統計を取ることすら拒んだ官僚がいました。香港財政官、ジョン・カウパースウェイトです。

香港は1842年の南京条約以来、自由港として中継貿易で栄えてきた土地でした。しかし1949年、中国大陸で共産党政権が成立すると、大量の難民が香港へと押し寄せます。わずか数年で人口は倍増し、香港はあっという間に、住む場所も仕事もない難民で溢れる、貧しく過密な英領植民地と化しました。すぐ目と鼻の先の中国大陸では、共産党による徹底した計画経済が敷かれています。普通に考えれば、これほどの人口急増と貧困には、政府による大規模な介入——住宅政策、産業計画、雇用対策——が必要だと考えるのが自然でしょう。

カウパースウェイトは1945年に若手行政官として香港に赴任し、1951年から財政副官として経済政策の中枢に関わり続けます。そして1961年、財政官(今日の財務長官にあたる要職)に就任すると、まったく逆の道を選びました。

彼が掲げたのは、後任のヘイドン・ケイヴが1980年に「積極的不介入主義(positive non-interventionism)」と名付けることになる哲学でした。税制はきわめて単純かつ低率で、給与所得に対する標準税率はわずか15%、しかも累進課税と標準税率のどちらか低い方を選べるという独特の制度でした。関税はほぼゼロで、香港は自由港として、あらゆる物・資本・人の出入りを歓迎します。特定の産業への補助金は一切出さず、企業の栄枯盛衰はすべて市場の競争に委ねました。財政は徹底した均衡主義を貫き、借金による景気刺激策には手を出しません。なお当時の香港には完全な民主的選挙制度はなく、総督とごく少数の官僚が統治する体制でした。皮肉なことに、この「民意を問わない」統治構造こそが、政治的な抵抗を受けずに徹底した小さな政府を貫けた一因でもありました。

彼の徹底ぶりを象徴する、有名な逸話があります。ロンドン本国から香港のGDP統計を整備するよう求められた際、カウパースウェイトはこれを拒否しました。政府が経済統計を持てば、その数字を根拠に「何かをしなければ」という誘惑に駆られ、余計な介入を始めてしまう——それが彼の理由でした。ミルトン・フリードマンは、1980年のテレビ番組「選択の自由」の第一回で香港を「自由市場の力」の象徴として取り上げ、この逸話とともに世界に紹介することになります。フリードマンは晩年まで「もし資本主義が実際に機能する姿を見たいなら、香港へ行きなさい」と語り続けました。

政府が何もしない代わりに、難民たちは自らの手で生きる道を切り拓きました。安い労働力と自由な貿易環境を武器に、繊維、プラスチック製品、玩具といった軽工業が次々と勃興し、香港製品は世界中に輸出されていきます。1960年代には、香港の繊維製品の輸出攻勢があまりに強力だったため、かつての宗主国イギリス自身が、自国の繊維産業を守るために香港製品への輸入規制を導入せざるを得なくなったほどでした。政府による計画も補助金もない中で、市場そのものが難民たちの雇用を吸収し、彼らを豊かにしていったのです。

その結果は、数字が雄弁に物語っています。1960年代には貧しい難民都市に過ぎなかった香港は、わずか数十年で世界有数の金融センターへと変貌を遂げ、1997年の中国返還を迎える頃には、なんと本国であるはずのイギリスの一人当たりGDPを追い抜いてしまいます。植民地が、宗主国を経済力で追い越すという逆転劇が起きたのです。以来香港は、ヘリテージ財団やフレーザー研究所の「経済的自由度指数」で長年世界トップの座を守り続けることになります。1978年に改革開放へと舵を切った鄧小平の中国もまた、香港の隣接地に深圳経済特区を設け、この自由経済モデルを取り込もうとしました。

カウパースウェイトが築いた枠組みは、彼が財政官を退いた1971年以降も長く生き続けました。一般消費税(VAT)は今も存在せず、最低賃金制度も2011年に導入されるまでは存在しませんでした。資本の移動や外貨の持ち出しにも制限がありません。1983年には、後任たちの手によって香港ドルを米ドルに固定する「連動為替相場制度(ペッグ制)」が導入され、通貨の安定というエアハルトの改革とも通じる土台が、さらに強化されました。税制はいまなお給与所得税・利得税・物業税の三本柱のみというシンプルさを保ち続けており、法人税もアジアの主要都市の中では際立って低い水準に抑えられています。

もっとも、この自由な経済の物語は、単純なハッピーエンドでは終わりません。2020年、状況は大きく転換します。2019年に香港で起きた大規模な民主化デモを経て、中国政府は同年6月、香港に国家安全維持法を導入し、政治的自由は大きく後退しました。この変化は経済にも影を落とします。資本と人材の流出が進み、株式市場は低迷。ヘリテージ財団は2021年、香港を「経済的自由度指数」の対象から除外するに至りました。

統制せず、計画せず、ただ自由な競争のルールだけを守り抜く。カウパースウェイトが香港で証明したのは、政府にできる最大の貢献が「何もしないこと」である場合すらある、という逆説でした。難民に過ぎなかった人々が、政府の助けを一切借りずに、一代でアジア屈指の富裕地域を築き上げたという事実は、今なお色褪せることのない教訓であり続けています。ただし2020年以降の展開は、経済的自由だけでは繁栄を持続させるには不十分であり、政治的自由という、もう一つの土台もまた必要であることを、私たちに突きつけているのかもしれません。